2015年11月15日

デジタルとアナログ

今回の記事はただのコラムですので、あまり大したことは書いてません。暇つぶしにどうぞ。

ゲームブックの作成においてアナログしかなかった時代より、デジタルツールが豊富にある現代での作成のほうがかなり合理的になったというような話を前回のエントリーで記事にしました。

 ただゲームブックを作る側ではない読む側にとって、デジタルというのは必ずしも利便性に富んだだけのものでもないようです。


 私の親父なんですが、かなり昔からピュアオーディオマニアでして、その趣味を自分も継承したりしています。
経営から退いた数年前から親父がCDからレコード主体にクラシックを聴くようになり、私も親父のシステムでレコードを真空管アンプと木のスピーカーで聴く機会がありましたが、CDなどのデジタルとはまたひと味もふた味も違った味わいのある音で驚かされました。

 確かにCDはレコードよりも高音質という触れ込みで発展しました。
次の曲や前の曲への移動もいちいち針を持ち上げて予想した場所へと落とすレコードに比べて、CDはボタンひとつで移動できます。
何回も聞いていると針と盤の摩擦で音が劣化するアナログ盤に比べてCDはそれがありません。

 何もかもがレコードの不便を解消したCDは当時画期的で、瞬く間に普及しました。

 ですが、あれから30年近く経て改めてアナログ盤を聴いてみると、針を落とす行動も儀式みたいで新鮮味ありますし、何度も聞いていると音が劣化してしまうため、ひとつ聴くのに真剣になってしまったり、そしてあの温かみのある音はデジタルでは絶対表現できない領域ですね。

 そういうことから、アナログとデジタルでどちらが優位かなんて議論は個人的にはあまり興味がなかったりします。


時計もデジタルが普及した頃にアナログはなくなるのではという懸念がありましたが、実際全体の時間を計算したりするのは右脳の情報を経由できるアナログ時計に軍配があがりますし、アナログ、デジタルでどちらかが絶対的に優位ということはないと思います。


 ゲームブックも同じです。
確かに電子書籍になって利便性は格段に上がったと思います。
普段電話やメール、ネットをしている端末上で読める上、何冊持ち歩いていようがかさばらない、紙の日焼けや読むことでページに手の汚れが付く紙と違って劣化がない。そしてパラグラフを瞬時に移動できるリンクが設定されていること(リンクが付いていればの話ですが…)。

 紙の書籍に比べると格段と使いやすくなりましたが、逆に味わいみたいな感覚はなくなりました。
タッチすればリンク先に即移動できるのは確かに便利です。ですが、その中間の儀式が省略されたようになって味気がなくなっているような感も受けます。
 紙の書籍ではページを指でめくって任意の数字を探したりしますが、デジタルでは画面が速攻で切り替わるだけです。

 具材を切って炒めて煮込んで作るカレーとインスタントカレーのパックを茹でて作るカレーと、言ってしまえば極端なはなしですが、ある意味そういう面倒臭さやフラストレーションが逆に味を引き立てる部分もあるのかなと最近は思うようになってきました。

 そういう感覚を持っている人は割といるようすが、デジタルはデジタルで先ほど述べた利便性にすぐれていますし、決してデジタルだからゲームブックとは言えないとか、そういう極論はナンセンスかなと思います。


 CDが出はじめたときもアナログ盤主義者が、音楽はレコードで聴いてこそ音楽だ。CDなんてもので聴くのは「音楽」なんかではない。あれは「楽音」だなんて言い出しそうなほど凝り固まった人もいましたが、そこまで強迫観念にとらわれても何も産みだせないでしょう。

 デジタルにはデジタルの良さがあり、アナログにはアナログならではの味わいがあります。
どちらかに優劣をつけて自分に言い訳がましく説得したところで、自分の収入が上がるわけでも、世界が平和になるわけでもありません。だったら「プロセス」にはこだわらず、「結果」を楽しんだ方が有意義な生活を送れるのではないかと考えてます。

 自分が計画して執筆している長編もエキセントリックなシステム上、デジタルの配信だと恐ろしいほどやりづらくなるため、自費出版でもしようかなと考えてます。ま、その前に別の分野の計画を進めているのでいつになるかはわかりませんが。


 デジタルにふさわしいコンテンツなら、デジタルで出せばいいですし、
 アナログにふさわしいコンテンツなら、アナログで出せばいいです。


現代になってそのどちらかへの選択肢が増えたというだけなので、フレキシブルにそれぞれ選びたい方を各個人で選べばいいだけなのです。

どちらかが廃れるわけでもなければ
どちらかを廃れさせないといけないというルールも法律もないのです。
posted by 文芸遊戯研究会 at 19:05| Comment(2) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして
もうここを読んでいるかどうかわかりませんが
文芸遊戯研究会さんに意見を貰いたくて書かせてもらいました。

http://blog.gamebook.xyz/entry/2016/12/04/233430
上の代々木丈太郎さんのブログで古いゲームブックを否定していますが、文芸遊戯研究会さんの意見を聞きたいです。

僕としてはちょっとひどい言い回し方のように思えて腑に落ちません。

読んでいましたら是非意見をきかせてください。



Posted by シン at 2016年12月06日 20:50
シンさん
初めまして

返信遅れまして申し訳ありません
実はパソコン新調した際にログイン情報をイレースしてしまいまして、
ここのログイン情報のメアドもパスワードも失念してしまいました。

よってログインできない有様です。
山ほどのスパムコメントも消せないのはそのためです。

そういった事情も含め残念ながら、今年いっぱいで閉鎖の運びとなりました。


リンク先の件ですが、アナログ媒体の書籍も認めていると発言しているから好みの問題かと思います。ゲームブックでもブログでも面倒だったり不快なら読まないという選択肢もあります。ゲームブック関連だからどうしても手をつけなければいけないという強迫感があるなら話は別ですが。

ただ個人のブログで一個人の所感を綴っているだけなので、反社会的行為の示唆や教唆でない限り、第三者である私たちがそれに対して発言を止めるように指示する権利もありません。ただ異論や反論を講じることは可能ですね。

私から異論を唱えるとなれば一つ「感覚的」な影響を全く考慮されてない点です。

製本されたゲームブックの特徴はページを頻繁に行き来することで、小口と呼ばれる部分(本の脇の紙が重なっている断層のような部分)に指を当ててパラパラとめくる際の指の感触が得られます。このような感覚を味わうのは辞書とゲームブックくらいで、辞書がデジタルにほぼ移行されたいま、その感覚が味わえるのは一部のゲームブックのみとなりました。あとはページをめくった時に感じる紙の匂いとか、そういう感覚を味わうと当時の状況が蘇ってきて懐かしいと感じます。そんな有機物に触れている感覚とかはデジタル化した無機質な端末では味わえません。

 そしてパラグラフジャンプが手動で面倒といいますが、これはデジタル端末によるタップ(クリック)におけるゲームブックをプレイしてから、アナログの紙のゲームブックを試しにプレイして見てください。それほど面倒に感じますでしょうか? むしろ作品の展開の方に気が行ってしまい、先が読みたいなら面倒でも先を読もうとページをめくって番号を探し出しますし、コンテンツがつまらないならリンクされていてもそれをタップするのも面倒かと感じると思います。(選択肢も考えずにどっちでもいいや的な投げやり感で選んでしまう)

ゲームブックの本質って案外そんなものかと。多くの読者は面倒さの度合いチェックや粗探しをするためにゲームブックをしているわけではないのです。

 あとはダイスロールやキャラクターシートの記入が面倒というならTRPGの世界はコンシューマゲームの台頭とともに消えているかと思います。最近のT&T関連をはじめある一定の盛況をみる限り、そのように感じる人も少数派なのでしょう。


 一概に面倒とはいえ、その面倒というフラストレーションがのちのカタルシスを増長させるエッセンスとして作用する効果もあります。何もしないで飲むスポーツドリンクと運動して喉がカラカラの時に飲むスポーツドリンクでは味の感覚が違うことと原理は同じです。

 ゲームブックを愉しむ方々の中にはそういった「感覚」における「雰囲気」を含めて愉しむ方もおられます。

 もしアナログのゲームブックにおけるそういった「感覚」「雰囲気」そのものも否定するとなれば、そういった感覚が脳や潜在意識に及ぼす影響まで掘り下げて検証しなければならないでしょう。ただどんなに検証しても「感覚」を否定するには難しいと思います。簡単な話「感覚」は「主観的」な部類ですからね。「アナタとワタシは違う」で終わってしまいます。

例えば食事の最終的な目的は栄養素の摂取にあります。
その結論を持ち出して喉元過ぎればどれも同じと美食家に「栄養剤だけ飲んでいれば生きれるし、無駄な時間も省ける」と説得しても誰も耳を貸さないでしょう。
感覚というのはそれが快楽であれ苦痛であれ人間が生きていく上で重要なファクターを占めています。

それを無視して合理的一辺倒で話を進めても、どうしても無理が生じてしまうものです。


ただリンク先のブログを読む限り、Y氏は友人であるT氏のプロジェクトのことをおっしゃられているようです。
T氏は同人ゲームブックとして紙媒体で製本してごく一部の書店に並べたりフリーマーケットやコミケなどで販売しているみたいで、Y氏はその方向性を危惧されているように感じられます。

 私も彼の立ち上げた版元の製本を二作品ほど拝借して読ませていただきました。紙のゲームブックとして売り出されていましたが、電子書籍としても出せるコンテンツでもありました。脱出ゲームブックのように紙媒体でないと通せないギミックが設けられているならば致し方ないのですが、彼の版元のゲームブックの場合、オーソドックスなスタイルで電子書籍化できる範囲でのコンテンツだったのです。

 T氏が先ほど話した感覚を重視したアナログでのこだわりがあるのかと思いましたが、ダイスロールなどはデジタルにこだわっていたためそういう方向でもなさそうです。さらにはマーケティングに触れていたのである程度のビジネスとしても考えていたようです。

ならば今現在販売されているゲームブックも電子書籍化すれば瞬時に世界展開されますし、紙の書籍として一部店舗やフリマで販売するよりも遥かにローコストでハイリターンな結果を得ることができます。
 同人作品として一部の人にだけ売れればいいというスタンスなら今の方向でもいいのでしょうが、営利効果も考慮するとなると電子書籍化できうるコンテンツなら電子化して販売した方が結果は出ます。
 何より紙の書籍販売で拡大を狙うとなるとどうしても取次の絡みが出てきます。そういった中間を挟まずに独自で絵始業して新たな販路を築こうとした人が、自費出版者を中心に古今から大勢いました。ですが思ったように展開されたケースはアマゾン活用くらいなものでしたね。自分こそはイノベーションを引き起こして業界を変えてやるって意気込みの人は毎年数人は出てくるのですけど、出版流通のシステムというか現実を知ったのか消えて行きました。

 そういった情報収集せず矛盾した言動と行為にY氏は非合理的だと異を唱えた形かと思います。
これに関しては私もY氏の気持ちはわかると思います。感覚を重視するプレイヤーに紙媒体の書籍を提供し、コンテンツ内容を重視する読者に電子書籍を提供する。そういった双方向からのアクションがマーケットには効果ありますし、ビジネスとしての多売を考慮するなら販売ツールを拡大することがまず先決ですが、それらをしないで営利の話をしているところをみると、彼がいったい何がしたくて何を目指しているかの方向性が見えないのですね。要するにどこへ向かおうとしているのかのビジョンが見えてこない。求めているのはただの自己満足なのかと。そういうことをY氏は言いたいのではと感じてます。

 Y氏のいう通り高級化路線に舵を剥けるというマーケティングもありますが、高級化路線で新たな販路を見出すとなると彼の目指しているコンテンツが主体の商品は莫大な商品力が求められます。ファンタジーものならドルアーカーやソーサリーなどの作品と同等かそれ以上というよりもハリーポッタークラスのインパクトが必要となりますし、それ以外ならば「君の名は。」位のインパクトを持つコンテンツが求められるでしょう。それだけのコンテンツを産めるスキルを持つ人材が果たして今のゲームブック傀儡にいるのか? 
絵空事だけで現実に対する選択肢は構築できません。

 とはいえY氏もT氏も私とはもう何も接点のない存在なので、私がとやかく言えることではないため、ここだけの話にしておいてください。

 私個人の立場としては電子化できるものは紙の書籍と電子書籍で双方向からアプローチして紙の書籍しか出せない品質や電子書籍でしか出せない品質なら、それにふさわしい媒体で出せばいいのかなと思います。

 感覚や雰囲気も必要不可欠ですが、それだけで合理化を否定する材料にはならないのです。その逆もしかり。


 視野性が広くなければマーケティングも創作もままなりません。
視野性が広い人間がマーケット拡大してよき作品を創作していきます。

以上、長文失意いたしました。
Posted by 文芸遊戯研究会 at 2016年12月29日 20:46
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