2016年03月13日

「聡明なスパイは耳がいい」終了

春も近づいてきました。
相変わらず仕事が忙しく、なかなか暇が見つかりません。
これからも多分暇はなくなるでしょう。ゲームブック作成関連の記事に関してはあまり期待しないでください。このブログ自体がもうオワコン状態ですから。よって今回も自由気ままに書かせてもらいますね。読みたくなければ読まなくても結構です。


ゲームブック作成のブログを立ち上げたものの、書くことが無くなって脱出ゲームブックのレビューを書き始めた記事も、結構ゲームブックのカテゴリーから脱線した内容をつらつらと書く状態にまでなりました。
今回も脱出ゲームブックのレビューの他に余り関係ないことをつらつらと書こうかなと思ってます。つまらなかったり不快でしたら途中切り上げて貴重な時間を無駄にせぬようよろしくお願いします。


「聡明なスパイは耳がいい」を終了いたしました。


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謎解きで詰まることもなく、なんかあっけないほど簡単に終わってしまいました。
前回の「十人の憂鬱な容疑者」がかなりシビアだったためか、それを反省点にわかりやすい謎解きにしたのかもしれません。そして、ヒントを記載した袋とじも用意してあります。
ただ、自分はその袋とじを全く開けることなく、快調に謎を解いていき、最後の謎もあっさりと見つけてあっけなく終わりました。

前作ではつまづきながらも謎を解いた瞬間の爽快感が忘れられなくて、今回もそれを期待していたのですけどね。ですが自分みたいな謎解きマゾヒストはマイノリティなのでしょう。やはり前作は難しすぎた印象があったようです。
難しさで言えば「十人の憂鬱な容疑者」がダントツで次に一弾の「人狼村からの脱出」、そして第二弾の「ふたご島からの脱出」とこの「聡明なスパイは耳がいい」が来るような感じですかね。

今回の「聡明なスパイは耳がいい」の特徴は聴覚を使って謎解きを行う企画が施されています。書籍にCDが封入されていまして、文中の指示にトラック番号が記載されていて、読書と同時に音源を聴くという一風変わった方式を取っています。だいたい書籍というのは視覚情報だけで認知していきますから、それに聴覚を加えるというのはそれなりに新鮮味のあるものでした。

小説というのは言語情報(ものによっては挿絵もありますが…)のみで展開されるので主に読者の左脳だけで処理されます。これまでの脱出ゲームブックは視覚情報で右脳左脳を刺激してきましたが、今回は視覚情報も
含めて右脳左脳を刺激しなければなりません。それゆえに感性も求められます。
こればかりは苦手な人と得意な人で二分化されるかもしれません。
 音楽に携わっている人ならば多少そういった感性はあるのかもしれないですが真意のほどは不明です。少なくとも私は結構昔ですが一時的にオーケストラに在団して楽器を奏でていた時期もあったので、その感性が役に立ったのかもしれません。

 どういうことかというと、時間的制約のない静的な視覚情報と違い、音源を介するものは時間的制約が課せられます。繰り返し聞けば問題ないのですが、音源というのは一つの情報を静的にそこに提示したまま留めておくということができません。ゆえに集中力と認知判断のスピード性が新たに求められるわけです。それだけでも今までのアナログのゲームブックと違いアクション性を帯びたという感じでしょうか。


 CDにはあの「くるり」の主題歌が提供されています。物語そのものも音や音楽を主体としたテーマを盛り込んでます。
 本文自体も前作までの三作品と比較してストーリー性も若干ですが増えました。各パラグラフでの選択肢も増えて迷路を探索する場面もあります。

その代わり付属品を使った大掛かりな仕掛けというのは、若干減ったような感じですね。ほとんどの謎解きはCDの音源を聴くことを指示しています。自分は音源を圧縮してタブレットに放り込んでそれを聞きましたが、SCRAPの事だから絶対CDそのものも物理的に利用する謎解きを用意しているのではと睨んでCDそのものも一緒に持って読んでいました。

 それがビンゴだったのか外れだったのかはここで言えませんが、付属品全てを使用する謎解きはありますよとだけ伝えておきます。

ゲームブック的なもので音源を主体にしたもの…というか音源のみのゲームブック的なものも昔にはありました。セガサターンで販売された「リアルサウンド 〜風のリグレット〜」という作品ですね。
ものすごいこだわりようで画面には何も映らずに真っ暗で音楽と音声がナレーション付きでドラマ風に展開されます。選択肢に差し掛かるとチャイムの音が鳴ってそれぞれの方向ボタンを押すことで選択肢の内容が読まれるというシステムでしたが、これも静的に情報開示できず視覚情報なしに動的に展開されるため、駄目な人は受け付けず賛否両論分かれた作品でした。当時知り合いだった映画評論家なんかはこれだけのシナリオをなぜ映画にしないのだと憤慨していました。映画にしたら選択肢が設けられないでしょうと反論しましたが。。。

 多少の選択肢や展開の波は以前よりもレパートリーが増えたものの、謎解きが主体でストーリーはオーソドックスなものです。静的コンテン主体のアナログゲームブックに動的コンテンツを融合させるというのは中々面白い試みではありましたが、ここいら辺はやはり人によって好みが分かれる部分でしょうか。謎解きがそれほど難しくなかったのはその辺を考慮しての配慮なのかもしれません。さすがにシー○スみたいに絶対音感を要するような謎解きがあったらそれはそれで鬼ですが。。。



 しかしながら、本に袋とじがあるとなんかワクワクしてしまうものです。今回は全く必要性を感じなかったため開けようとも思いませんでしたが、難解な前作に袋とじが付いていたら開けていたのかもしれません。

ところで
袋とじというと一つ変わった情報をネットで見つけました。あるブログである作品のレビュー記事を偶然見かけたのですが、それにコメントされている方の感想に興味深いものを見つけました。その作品の文章力を疑問視する話題から始まって、さらには一つにまとめられるパラグラフを連番で二つに分けて150くらいのパラグラフの作品を300くらいにしているという情報でした。興味を引いたのはその後の話でパラグラフを無理矢理分割している理由が袋とじに記載されているものと思い、袋とじを開封したら謎解きの解答でもないただの後日談だったというコメントでした。

 私はその作品のことはよくわかりませんので真意のほどは不明ですが、少なくともそういう風に感じられた人がいるということにはそれなりの原因があるのでしょう。検証する時間が私にはないのでそこから話を展開させていただきますが。


 世の中、様々な商品が売られています。どのようなカテゴリーの商品でも玉石混交の世界です。

 よく、ゲームブックが廃れた原因に質の悪いゲームブックが横行し始めたという意見も聞かれますが、それは小説でも映画でもどの分野でも同じです。様々な分野の製品にピンからキリまでの程度があります。ゲームブックだけに限った話ではありません。

 それに嗜好性の高いものはどうしても人によって好みの違いがあります。自分も脱出ゲームブックを評価していますが、人によっては全く受け付けない人もいますし、自分が立ち読みして苦笑して購入に至ってすらいない作品を大絶賛している人もいます。嗜好性の高いものは価値観の違いで好みが結構大幅に分かれてしまう傾向にあるため、自分が読んで質が悪いから他の人が読んでも質が悪いと思うだろうとの判断は案外、信憑性が低いものです。

 しかしながら、大勢に支持されている作品もありますし、先ほどのコメントにあったような作品などもあるようです。
こればかりは世の中の定理というか致し方ないように感じます。どのような商品でもある一定の需要が見込めると他社から似たような製品が出されます。脱出ゲームブックだって劣化コピーと言われるようなクオリティの作品が出ないという保証もありません。外食一つ挙げたって格安の大衆食堂から三ツ星レストランまで多々あります。

 ただ個人的に思うことなのですが、どのような分野の製品であれ商業という名の法則に則っています。要するに儲けるために物を製造販売しているという点です。慈善事業や趣味に限定して行なっているものとは別にほとんどの営利団体は儲け主体で物を売っています。その中でも売れさえすればそれでいい、売ってしまえばこっちのものという商法も認められています。
 主にリピーターが最初から見込めない一見さんや観光客相手の商売や、商品自体をよく知らない層や疑いを持たない層相手、その本体の価値とは別のネームバリューや商品価値が最初から伴っている商品(例えばコレクター向け商品や有名アイテムとのコラボもの)などは、どのようなクオリティでもある一定の需要は確保できるため、そう言った商法で提供するケースも多いです。

 極端な例ですが中身の上面が見える弁当を買うとしましょう。ウィンナーが二本入っているのを確認して購入。そして開封してウィンナーを取り出すとそれが水平方向に切られていて0.5本で二本だと思っていたのが実は一本だった。もちろん上面には円形のある外側の方を向けてあり、見た目は二本入っているように見える。注意深く観察したり開封してみないと実際はわからない。
こう言った製品を見た経験というのは割と多くあると思います。

 これが弁当の外側にウィンナーが丸ごと二本入っていますというキャッチフレーズを掲げていれば詐欺に当たりますが、そうでなければ違法ではありません。見かけだけで錯覚させるのは実は商業では多々使われたりします。さすがにウィンナーを半分にぶった切るのは大げさな例ですが、ほとんどの消費者は初期の見かけで大半を判断しようとする傾向にあり、そういう傾向を逆手に取ったれっきとした商法でもあります。

 もちろんいかがわしいとかそういうものではなく、あくまでマーケティングのプロフェッショナルによるノウハウでもありテクニックともよべるものです。大手企業や出版社などにはこの手のマーケティングの専門が数人存在しています。

 半分のウィンナーも袋とじも購入して開けてみなければわかりません。購入させるということが最終段階にある製品はそれで売り手側にとっての役割を終えます。どのような製品もできるだけコストや制作時間を抑えることができればそれに越したことはありません。法律の範囲内でごまかすという行為も商売では確立された手法です。ですからこう言った製品を一概に非難するというのは少々短絡的かなと自分は思います。


 では、対象を逆転させてなぜこのような経緯になったのかを検証しましょう。
そのコメントされた方には酷ですが、ある種のステレオタイプが働いたのではと推測します。

袋とじの大体の特性は秘密性を秘めています。週刊誌などのアダルト写真などは買わせるためのものですが、ゲームブックなどではゲーム性という観点から謎解きの解答がそこに記載されていると思ってしまいます。
よって「袋とじ=謎の解答」という固定観念が定着してしまうのです。
そういう色眼鏡を通して袋とじのある本を見たときに「袋とじが必要なほどの謎解きがある」と錯覚してしまいます。
実際に開封したときにその内容がただの後日談だったので、そのような開封前の期待感が逆転して失望へと繋がったのではと思います。無論袋とじは謎に対する回答にしないといけないなんてルールも法律もありませんから何を記載してもいいのです。ですが先入観がそれを一方的に決めつけた感じですかね。

 その他、パラグラフの総数もそういったイメージとして作用します。150だと短編のように見えても、300だとかなりボリュームのある冒険ができそうだと錯覚してしまいがちです。


どのような人であれ、イメージや固定観念というのは存在します。
よくブランド性や知名度などで物事の判断基準を立てる人、結構見かけるでしょう。内容や本質を検証せずに見た目や名前だけで様々なものの総合基準を即座に決定づけてしまいます。

このようなイメージや先入観は一度決定付かれてその人の記憶に定着してしまうと中々覆せないものです。一時期騒がれた「洗脳」のメカニズムによく似ていると思います。
これを商売上でのマーケティングに利用する企業や新興宗教は結構あります。大手企業ならほぼ利用していると言っても過言ではないでしょう。
マクドナルドやユニクロのように格安の商品を大々的に売り出して、安いとイメージ付けさせ、格安として告知した製品以外の商品は少し高額で売るという方法ですが、これが割と上手くはまったようです。マクドナルドは別の問題で失脚しましたが、格安というイメージ商品に扇動された顧客層は安いからアソコにしようと繰り出し、知らぬ間に高額の出費をしたのにもかかわらず得したと満足してしまいます。
 少し考えれば高額かなと気づくものですが、ステレオタイプの傾向の強い人はイメージや先入観でほぼ行動します。本当に重症だと高額であると数値やデータを見せても信じない人すらいます。そこまでバカな奴いるのかよと思いますが、嘘のような本当の話です。

それだけ固定観念…いわゆる洗脳の力というのは膨大です。ですからマーケティングに置いてイメージ作りをすることは製品の企画開発及び広報では重要視されていたりします。
この傾向が強いとあらゆる事象や物事をイコールで結びつけようとします。「外車=高級車」「中国産=粗悪品」など、詳細な品質を中立的に検証して考察せずに、漠然としたカテゴリーを短絡的な基準で色分けしようとします。考えるということを放棄してイメージや感覚、感情だけで認知判断する傾向にあるのです。

 前の記事でも話題としましたが、「考える」ということは否定から始まります。肯定してしまうとその対象についての考察は完了したと判断してしまいますので、何か事象に関して奥まで突き詰めたい場合は否定から始めます。推測を立ち上げてそれを否定的観点で突き詰めて検証して決定的なインファレンスを決定づけていく。このように進めていくことで考察を深め真実を掘り下げていくのです。こう言ったことは主にクリティカルシンキングと呼ばれています。

 イメージ、先入観、固定観念、ステレオタイプ、呼び名は様々ありますが、このような習慣を否定して考えるという行動を習慣づけていくことで、視野性は格段に飛躍します。そうなると今まで見えてこなかった部分も見えるようになります。もちろん発想や創造の力にも結びつきます。個人的にはこう言った考察を阻害する分子を撤去することを「憑き物を取る」と表現しています。(同じ表現をしていた作家にインスパイアされた形ですね)

脱出ゲームブックなどのロジカルパズルなどもこう言った先入観が謎解きを阻害する箇所が多々あります。論理思考にイメージや固定観念は不要です。そう言った憑き物を取り去ることにより回答への方法が見つかるケースが多いのです。


 憑き物に固執してしまった消費者層はその特性からマーケティングに置いてはとても扱いやすいターゲット層として重宝されます。
どのような製品でも企画開発の段階の初期でターゲット層を設定します。見た目や初期のイメージで判断してしまう考えない層は美味しい顧客でもあります。
袋とじの件でもそう言った特性をうまく利用して顧客を取り入れたのだと思います。袋とじはそれだけでも謎が含まれると錯覚してしまいますし、何より袋とじは買わなければ中を開封して確認しようもありません。売ってさえしてしまえば利益となってしまう業界です。袋とじを見つけた時にこの袋とじの中は本当に謎解きの解答が書かれているのか…実はただの後日談かもしれないなんて疑う顧客もいませんからね。その心理を利用したプロフェッショナルならではのノウハウが活かされたイメージ商法でもあります。

 謎解きの解答を仕込むにせよ、知ったところで読者側に何の影響も変化もカタルシスも与えない謎を適当にブッこむ手法もいいのかもしれません。私がずる賢い作家ならそうしますね。あとで後日談だけじゃないかと言われた時に、謎とその謎の答えがちゃんとあるじゃないかと反論する材料にするためです。何の伏線も論理も持たない謎なんかは誰でも即席でいくらでも作れます。適当にでっち上げてブッ込んでハイっそれで謎の出来上がりです。何より時間もかかりませんから締め切りにも間に合います。

 前述のステレオタイプの強いターゲット層だと購入時にイメージ付けられた「袋とじ=謎の解答」のイメージ付けが結論付けされてしまい、それが否定されることなく最後まで引きづられます。ゆえに最後がただの後日談であれ、壮大な袋とじと錯覚して評価する顧客も出ていることでしょう。それもそれで出版社のマーケットのプロフェッショナルの思惑通りなのです。さすがはプロのなせる技ですというほかないですね。売切販売の商業物は売れることが最終目的なわけですから詐欺に当たらなければ何も問題はないのです。それでも何か解せないという消費者がいるなら次回からその手の作家の作品は買わないようにすればいいだけなのです。売れなければそのような作品も出してこなくなります。それで万事解決します。

 どのような商品でも玉石混合の世知辛い世の中です。詐欺にすら当たらなければ良いという哲学で商売する輩もいます。ですから消費者側で考えて選別する習慣をつけなければ、商品全般のイメージクォリティアップなんてないのです。そう言った観念を無視してブームが去ったのは品質の悪い製品を横行させた売り手のせいだけだというのは少し論点が違うような気もするわけです。


 脱出ゲームブックなどは難解でロジカル的な謎解きを提供するが上に、ターゲット層はそう言った問題を解決するようなロジカルシンキングの傾向を持つ読者層がターゲットとなってしまっています。そういった層は固執傾向が低い上にそれなりに考察する習慣を持っているので、小手指だけのごまかしは効きません。そんな不利な状況でも手抜きせずに地道に出版し続ける商業努力には頭が下がります。決してマーケティングが上手いわけではありませんが、クオリティ重視で生き残ろうとするゲームブックがあるということはまだ捨てたものではないですね。劣化コピーと呼ばれるまがい物も出る(出た?)かもしれませんが、それに屈せず頑張ってもらいたいものです。


今回、脱出ゲームブックの感想とマーケティングの一部について書きました。
posted by 文芸遊戯研究会 at 07:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月28日

「十人の憂鬱な容疑者」終了

2月に入ってから仕事が忙しい、忙しい。

大掛かりな販促企画を行った結果が出てきただけなので自業自得なのですが、
全く暇なのよりは前向きなうれしい悲鳴なのかもしれません。
とにかく欲しいもの、やりたいことがいっぱいあります。唯一欲しいけど手に入らないもの…それは時間。


なんだかんだで脱出ゲームブックにかけられる時間も少ない事ながら、今回の「十人の憂鬱な容疑者」。
前作2作品よりも謎がかなり難解になりました。

結構詰まらせられました。公式にヒントもなく検索するのは邪道なのでどうしてもわからない場合は一旦切り上げて他の本を読んだりとワンクッションおいて挑みました。

 時間はかかりましたがなんとかノーヒントでクリアできました。


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苦労すれば苦労したほど達成感が増します。自分は登山が好きですが、高く険しい山ほど頂上に達した時の快感が増すものです。
ゲームブックに限らず、あらゆる創作もいろいろと試行錯誤したり制作に困難を極めたものほど、受け手に訴えかけるものも強いのではと思います。

 人によってその手のスキルも違います。脱出ゲームブックは私のようなタイプはドツボにはまるほど面白いものですが、全く受け入れられない人には全く受け付けないものでもあります。

 そうなると、読者の対象が狭まるのではと思うのですが、これらのシリーズは続編が出るほどのニーズがあります。私が思うに、書店でこの手の書籍を手にするタイプのターゲット層をマーケティング調査して、その層のタイプに合わせて製作、ターゲッティング以外の層はあえて考えずに販売したのではと睨んでます。
 ま、そこまでは考えすぎかもしれませんが、ある程度難解な謎でも通用する消費者層もいるということはわかりました。

 逆にターゲット層を広げすぎて当たり障りのないストーリーと簡単な謎解きで締めてしまうと、フラストレーションは生じないもののインパクトも薄れてしまい読んでも記憶に残らなかったり、リピーターもつかないものです。(どちらがいいのか悪いのかという視点では語れませんが…)


 推理小説なんかもなかなか推理にたどり着けないくらい難解なトリックを用いたのがほとんどですからね。
もしかしたら読者は難解な問題を潜在的に求めているのかもしれません。


 ネタバレになるので詳細は控えますが、このゲームブックは使い捨てと御考え下さい。

 書き込んだ文字を消してまた時間をおいてプレイしようかなと、フリクションボールペンを用いてマップやシートに記載しましたが、プレイするには普通のボールペンなどで記載しても大丈夫です。記録紙をコピーして使っても無駄だと思います。切り抜きのアイテムも勿体ぶらずにガンガン切り取って使いましょう。

 そして新しくプレイし直す場合は新たに買いましょう。この本は一度遊んだらそれまでです。多分、一度最後まで遊んでしまうと古本屋でも買いたがらないほどボロボロになっていると思います。特にマップですね。そしてあるページに至っては修復不能にまでなってしまいます。というよりも修復不能にしないと先に進めません。最後までやってみればわかると思います。

 こう言った推理ものの謎解きゲームブックは一度遊ぶとそれまでという傾向が強いですからね。製作者側も読者に何度もプレイさせるという前提で作っていません。そう言った傾向を踏まえて一度限りで役目を終える書籍として割り切って制作したのでしょう。
 冒険ものでしたら何度でもプレイできるものなのですが、推理ものの宿命でしょうね。逆に一度限りしかできないプレイだからこそのインパクトというか大切さというものも感じます。ボロボロになった本というものあの時は大変だったなという思い出の詰まった貫禄があって、いいものです。
 
 使い古した貫禄。これもデジタルでは再現できないアナログならではの表現の一つですね。アナログであることや本のジャンルというものを知り尽くした上であえて企画を通した製作者側には敬意を通り越して呆れてしまいました。(良い意味で)

 あと驚かされたことですが、物語の終盤であえてタブーな話題を放り込んでいること。下手したら一部の方々から反発を食らうほどのタブーをプロットに組み込んでいるという思い切った攻勢に出ています。
 こう言った思い切ったことを制作に反映するという行動力を持っているからこそ、こう言ったものが作れるのかもしれません。私もあるタブーに挑んだ創作を企画したりしています。


 デメリットを上げるとするならば、本格推理ではないこと。
 レイトン教授シリーズ同様、推理の犯人探しというプラットフォームを取っていますが、犯人のアリバイ屋密室のトリックなどのトリック暴きというよりも、クイズなどの謎解きを進めて物語を進行させるという脱出ゲームブック全般のパターンです。よって本格推理的なものを期待してしまうと、少々肩すかしを感じるかもしれません。


 あとは、謎解きによってですが、説明不足なものもあるという点でしょうか。
説明不足なゆえに謎解きよりも何がどうなっているのかも把握できない謎解きがありました。説明が曖昧なんですよね。それを意図として制作したのなら少々謎解きの難しさよりも意地悪な面のイメージの方が先行してしまうかもしれません。

  推理小説だと、どんなに難解でも読めば解決に導かされますが、ゲームブックだと謎が解けないと先に進めないケースもありますから、調整が必要になります。それがうまく噛み合った場合はゲームブックは読者の求める欲求を解消するのにふさわしいコンテンツとなることも否定できません。

 ですが謎解きに説明が不足していたり、常識を外れるほど突拍子もない発想が必要だったり、全くヒントがなかったりとか不条理な謎だと、読者は逆に引いてしまいます。そうなると意地悪な作家さんだと思われるので、その辺を調整したほうがいいかもしれません。小説とゲームブックは特性が違います。

 いわば謎解きや推理などは製作者側と読者側をできる限りフェアにした方がいいかと思います。受動的な小説と違いゲームブックは読者に作業や考察を要求しますから余計にその傾向を強く意識して制作しないと、イメージダウンにつながると考えられます。

 ある方から耳にした話ですが、推理小説などのコンテストなどでも医師職の方や司法書士などの職に就かれている方から、職の専門知識を取り入れた推理小説が送られてくるそうです。
 医者が医学の知識を活かしたトリックを、電気技師が電気工学の知識を活かしたトリックを用いた小説を持ち込んでくることは多々あるようですが、医者でなければ解けない、電気技師でなければ解けない推理小説というのはご法度なんだそうです。なぜならその推理小説を解くには専門家でなければならないというならば、不特定多数の人間が読まれるそれに対してフェアではないとのことなんだそうです。

 もし専門知識を活かしたトリックを用いるなら、その作品内で事前にその知識を提示しておく必要があるわけです。そう言った知識を読者に提示して読者と作者の知識量をフェアにした上でトリック解決を案内していかないとフェアではないということです。

 謎解きや推理はフェアかつ筋が通るように設定しないと読者は納得しません。
あるトリックにおいて謎が解けた、あるいは提示された回答を知った時に、これが答えだったのかと納得するのと、こんなの解るわけないだろうと憤慨する二択に分けられると思います。
 どちらかには読者にカタルシスを与え、もう片方は不快感を与えるでしょう。難しかったと意地が悪いというのは全く特性が違います。投稿サイトなんかで推理物を投稿されているものを読んだりもしましたが、全くフェアとは言えないものを読んで謎明かしされた際に、不快感しか残らなかった経験を覚えています。特にゲームブックにおいては謎やトリックはターゲットとされる読者に解かれることを前提としないとイメージダウンにつながるということですね。フェアでない謎掛けを生成するのは簡単です。全く情報を与えなければいいだけですから。とはいえ読者側に情報を提示しすぎると謎が簡単に解かれてしまう危険性もあるわけです。その辺のバランスはターゲッティングした読者層の傾向を調査しなければ始まりません。

 今回のゲームブックはある程度の情報やヒントが提示されているものでも、二転三転させないと解答に導き出せない謎解きも多かったです。とにかく一度プレイしたら本を捨てるくらいの踏ん切りの良さと、固執してしまったイメージや推測をあっさり捨てるくらいの柔軟さで挑みましょう。勿体無いは厳禁です。

 
 あと謎解きにオススメなのはリラックスできる環境を作ること。たとえば自分の部屋でプレイするときは窓を開けて外の空気を取り入れてます。BGMとしてかける音楽は言語情報を持たないインスト曲をかけてます。おすすめのジャンルはライトタッチなリラクゼーションやアンビエント、もしくはチルアウトなどを選曲してかけてます。結構それだけでも脳が活性化されますよ。脳が活性化されるとそれだけでも回転が速くなります。

 これはゲームブックを作成する時にも有効です。脳波というのは結構デリケイトで周囲の環境の波動に敏感に反応してしまうものです。

 ですから創作する際、緊迫感溢れる場面を執筆される際は激しいテンポの曲をかけて執筆したり、逆に穏やかなシーンを描写する際には自然に囲まれた静かな場所で執筆されると結構書く文章なんかも変わってきたりするものです。結構目に見えて影響されますからぜひ試してみては。


 人によっては難解な謎に詰まると諦めてしまう傾向な方もいますが、自分の場合、詰まれば詰まるほど何としてでも解いてやろうというやる気に繋がったりします。

 ビジネスでも私生活でもそうですが、自分はアイディアなんかも出してみた後、それを徹底的に否定し、そのネガティヴな面をいかにして打開するかひたすら考えに考えます。ネガティヴな面を見つけたために考えることををあっさりと捨ててしまうと、あまり打開策というのは生成されないものです。
発想とは言わば謎解きに近いものがあると思います。謎解きが解けたときのカタルシスと発想が顕在化したときの感覚は恐ろしいほど似ています。閃くことは成長している証とも言えます。

 ですから難解な謎にぶち当たった時は避けずにできるだけ解決する努力するようにすると、何かしら発想が必要になった際も打開策を結論付けやすい性質になるかなと考えてます。要するに「考える」習慣をつけましょうということですね。

 考えるという習慣は捨ててはいけませんが、考える内容を固執してしまうとそれはそれで進展をふさいでしまいます。

 謎解きを含めて「考える」ということは推測と検証の連続系です。これはあれだろうと推測を自分の頭の中で立てて、それが適切かを検証します。それが失敗ならそれを学習した上でまた推測を立てて検証を繰り返して成功へと緒を見つけていきます。

 誰にもあることですが、この推測という部分で固執してしまう部分がどうしてもあります。これはあれに違いないというイメージを脳裏に焼き付けてしまうとどうしてもその枠内での考察に限定されてしまいます。謎解きや発想でもそうですが、この固執傾向はかなり足かせとなってしまう結果を生みます。

 ですから考えられることや思いつくことすべてを推測し、検証して理想や正解が見つからなかった場合、ゆえに手詰まり感を感じたならば思い切って捨てることが必要不可欠となります。捨てることでその枠を取り外すことにもつながり、謎解きの解決や新たな打開策やアイディアの構築などにもつながります。

 この捨てるということは固執傾向にある人ほどかなり辛いことにもなりますが、逆に固執しない傾向な人は手詰まり感を感じたらあっさりと捨てて新たな策を構築しようと動いたりするものです。

 これは謎解きや発想に限ったことではなく、人生においてのトラブル回避や取捨選択にも有効に働きます。
 私は昔に企画開発やクリエイティビティの競争の強い業界で働いていた時期がありましたが、その時に先輩から叩き上げられた際にしょっちゅう「捨てることを躊躇うな、変化することを恐れるな」と言われ続けました。
 変化するということは成長するあるいは退化するということも含んでいるわけです。成長も退化も何かを捨てていかないとそれが起因しないということだって多々あるわけですね。保身ばかりに固執するよりもプラスもマイナスもそれを覚悟の上で取捨選択していく思い切りのいい性格の方が、企画や開発に向いている人材ではないかと思うわけです。


 話は逸れてしまいましたが、推理とゲームブックは意外と相性はいいと思います。ただ何度も楽しめる傾向のある冒険ものと違い、一度プレイしてしまうと終わってしまう傾向も強いですが、購入時に何の情報も持たない読者側を取り込むには冒険ものよりも推理の方がアプローチ性が強いかなと思います。

 推理ゲームブックを作るには推理小説が書けるような能力も求められると思います。小説と言うよりもトリックやロジックなどのプロットですね。
やはりそのためには読者に疑問を持たせられるような非常識な環境を提示しなければならないと思います。読めば解決する小説とは違うゲームブックですから、読者自身が解決されることを前提にトリックを構築していかなければならない故に、小説よりも難しいプロットを求められることになるでしょう。

 トリックはトリックでも逆に叙述トリックなどはあまりゲームブックには向かないかなと思います。どんでん返しなどは小説でもゲームブックでも設定すれば読者にかなりアプローチ材料になるのかなと考えてます。


推理とは何か?

私の個人的な意見ですが、推理は論理やロジックを分析しインファレンスを設定して解明していく作業かと思います。先ほども似たような話をしましたね。
推理において謎を解くというのは作者の論理やロジックを崩すこと、いわば論破することに近いかなと考えてます。

もちろん作者側も論破されないように周りを論理でガチガチに固めなければなりません。完全に論理で固めてしまうと推理として成り立たなくなってしまいますから、その中での論破ポイントや矛盾をわかりづらいように設置します。ようは作者側と読者側の論理力勝負みたいな物なのかもしれません。

よって推理でのゲームブックを作成するなら論理的に考察して展開していく能力は必要なのかなと思います。
私の尊敬してやまない方の一人に数学者の岡潔氏がいますが、彼は推理力は数学力と密接に絡んでいるというようなニュアンスの話をされていたように記憶しています。

 論理思考で分析し、ロジックを崩し論破していく能力は推理して謎を解いていく能力に近いものがあると思います。逆に言えばそういう能力が伴っていれば謎を解くだけでなく、推理における謎を創造していくことにも長けていると思いますね。

 矛盾や情報のねじれや嘘やボロは自然に出してしまうことは多々あれど、わざとそれを構築してうまく隠し通すにはそれなり(というか、かなり)の知性が必要です。いわば嘘をついてそれをうまく隠し通せる人ほど巧妙な推理を構築できるのではと推測します。


 あとは記事の冒頭で書いたこと繰り返しますが、推理のトリックを発案したら、今度はそれをロジックに当てはめて徹底的に否定して論破点を探す努力が必要ですね。自分の論理を自分で論破するような感じです。
このトリックなら犯人はあいつしかいないという状況でも多角的なロジックで検証していくと実はもう一人該当者がいたなんて矛盾が見つかることもあります。それの繰り返しでトリック案を突き詰めていきます。ただ、これはやってみると本当に難しいです。本当にロジカルに情報を分析していかないと成り立たない作業です。

ただ、これも冒頭で書いたことですが、困難を乗り越えて生成したものはアプローチ性も強いです。推理ジャンルでゲームブックを作ることを目指している方はこんな脅し文句に屈せずに頑張ってくださいね。



 実を言うと私も一つ推理のトリックとプロットを構築し準備しています。アウトプットするのはゲームブックではないのでここで詳しいことはこれ以上書きませんが、とにかく直接現場で実験してみたり、矛盾点を探してその度に設定を変えたりしてえらい大変でした。でも取り組んでいる瞬間や壁にぶつかった時は逆に楽しかったりしましたけどね。


あと二作品頑張るぞー
つーか、3月までに終わるのか。。。
posted by 文芸遊戯研究会 at 13:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月15日

名作が電子書籍として復活

なんと、あのドルアーガの塔のゲームブックが電子書籍化されるそうです。

自分は小学生の頃に創元推理文庫版と出会いまして、3巻連続でやりつくしました。一巻のアドベンチャーシートを3巻のプレイまで使いつめ、鉛筆で書いたり消したりの連続で穴が空いてしまったという苦々しい思い出があります。

高校生の頃にもう一回プレイしまして、その時はちゃんとアドベンチャーシートをコピーしてマッピングしながらプレイしました。

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その時の地図未だに持ってます。(なぜかルーンクエストのキャラクターシートを使ってる)

創土社で復刻版が出されたことは知ってましたが、創元推理文庫版を持っていたので購入するに至らず、今に至りました。

幻想迷宮書店のサイトによるとその他に「魔人竜生誕」も予定されているらしいです。話に聞くとゲームブックコンテスト受賞作のようで、自分は読んでなかったのでこれを機に買って読んでみたいなと思います。

今のところ創土社で刊行されたタイトルの電子書籍化のようですが、この後の予定が気になるところですね。刊行されたタイトルの著者が新たに書き下ろしたタイトルが出るのか、それとも創土社で復刻されなかったタイトルが復刻版として出るとか、どんどん期待が膨らみますね。「リンゴ」や「ユリ」あたりが復刻してくれれば割と需要はありそうですしね。

 こうやってみるとゲームブックを取り巻く環境は徐々に確立されつつあるということでしょうか。ゲームブックの未来は明るいと思います。

なお、幻想迷宮書店さんでは自作ゲームブックの持ち込みも募集しているようです。昔のゲームブックのコンテストに応募したけど落選してしまい、「もうゲームブックなんて何と言われようとゼッテー書かねえよ」なんて涙目になっているそこの君! 手直ししてもう一回持ち込んで見ると新しいフラグが立つかもしれないですぞ。
posted by 文芸遊戯研究会 at 18:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする